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飛ぶ鳥喜八

昔、栃木の氷室村に、生まれつき恐ろしく足の速い喜八(きはち)という男が住んでいた。それは、まるで鳥が空を飛ぶようだと言うので、飛ぶ鳥喜八と村人から呼ばれていた。
その速いことと言ったら、1反もある布を持って走っても、布の先は少しも地面に触れないと言うのだから、たいしたものだ。
そんな訳で、村の娘たちが作った反物を急ぎで江戸まで届けなければならないとなると、みんな喜八さんに頼んでいた。
氷室村から江戸までは25里もあるが、喜八はこの25里の道のりを一時(いっとき)で走ってしまい、昼には楽々江戸に着いてしまうのだ。
そして江戸で用事を済ませると、すぐに引き返し、行きつけの茶屋でのんびり昼飯を食べるのだった。
こうして仕事を済ませた喜八は、村へ帰ると大好きな盆栽いじりをして、その日の残りを時間を過ごすのが日課であった。
これを見て朝から晩まで野良仕事をしている村の衆は、足が速いというのは暇が出来て良い事だといって羨ましがった。
ところでこの喜八さん、不思議な癖があった。それは、いつも村に帰って来るとき、村の入口の下り坂で右手を高く上げるのだ。
村の衆にこの理由を聞かれても、「まあ、そりゃあおまじないみたいなもんじゃよ。」というばかりだった。
ある日のこと、喜八がいつものように、帰り道の茶屋で昼飯を食べていると、なにやら氷室村あたりの雲行きがあやしい。
急いで帰ろうとするが、ちょうどその時、茶屋の女将が急に産気付き、今にも子供が産まれそうになった。
産婆さんはここから2つ先の村にしかいない。そこで、喜八は2つ先の村まで走って行き、あっという間に産婆さんを連れてきた。
思わぬことに時間を食われた喜八は、いつもより早く走った。雨に打たれては、大事な盆栽が痛んでしまうからだ。
村の入口に来る頃には、雨は本降りになっていた。喜八は、いつものように下り坂で高く右手を上げ、大木に絡まっている蔓(つる)を掴もうとした。
ところが、雨のせいで蔓は濡れていて、喜八は手を滑らせてしまった。勢いが止まらない喜八は、そのまま村を通りすぎ、裏山の頂上の大岩に頭をしこたまぶつけ、ようやく止まることが出来た。
喜八が村の入口で右手を高く上げるのは、木の蔓を掴むためだったのだ。
そして蔓に掴まりながら木の周りをグルグル回り、勢いを止めていたのだ。足が速く、みんなから羨ましがられる男にも、人に言えない苦労があったということだ。
それにしても、自分で自分の足を止められないとは、何と足の速い男がいたものか。
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